ヴァイオリン屋になった理由

ヴァイオリン屋になった理由(わけ)

私が弦楽器を販売するに至った理由について お話ししてみましょう。

私の妻は元は東京のオーケストラで弾いていたこともあるヴァイオリン奏者です。 妻は、小さい頃からずっと先生に就いてヴァイオリンを習い、 音大に入りました。

妻は、高校の時に音大受験の為、 その当時習っていた先生の薦めでイタリアの銘器を購入しました。
当時の金額で購入価格は120万円だったそうです。

それ以来、大学時代、プロになっても、そのヴァイオリンをずっと弾き続けてきたわけですが、今(1997年ごろ)から5~6年前、あまりにも楽器の調子が悪くなったため、裏板をはずすという大修理を行うことになりました。

 

そこでわかったことは、そのヴァイオリンは銘器ではなく「本物」ではなかったこと。 そして、楽器の健康状態(コンディション)、つくりが部分的に板が相当薄く削らているなど、相当に悪かったことでした。

妻は先生に選んでもらい、大金を叩いてイタリアの銘器を手に入れたとばかり、信じ込んでいましたので、大変なショックを受けました。

悪いことに、それについて文句を言おうにも、妻にヴァイオリンを販売した楽器商はとうに他界し、 先生も第一線を退いてしまっていました。
(もっとも、その楽器商が生きていたところで、そんな昔に購入した楽器のクレームなど、まともに取り合ってはくれなかったでしょうけれど。)

当時の120万円という価格は、何人かの楽器商からは、値段だけは「本物」の値段に等しいと聞かされました。
現在、その製作者のヴァイオリンは本物であれば少なく見積もっても、日本では1,500万円以上で取り引きされるようなランクの楽器、まさに銘器なのです。

鑑定書が付いていたので、すっかり安心していたようですが、 真贋の問題というのは、鑑定書といっても紙切れ一枚にすぎませんから、鑑定書が付いていても最終的にははっきりしない場合が多いのです。
楽器の鑑定書はアカデミックな学者が書くのではなく、製作家や楽器商が書くもので、書くのに資格がいるわけではありませんから何とでも書けるわけです。
(ですから、オールド楽器の真贋にまつわるトラブルは世界中で起こっています。 日本では、東京芸大へのガダニーニ納入をめぐる、いわゆるガダニーニ事件が有名です。)

 

妻のヴァイオリンについての意見、修理についての意見を 聞くために、その時、弦楽器工房、弦楽器専門店を何軒も回りました。 そこで感じたことは、自分が売った楽器でないと徹底的にこき下ろす人が多いということと、 こちらにあまり専門知識が無いとわかると、馬鹿にしたような態度を取る人があまりにも多いということです。

 

もちろん、全部が全部そのような人ばかりではありません。きちんと説明をしてくださる方もいました。そういう人からは、 「楽器は本物か偽物か、鑑定書が付いているかどうかということよりも、まずつくりがきちんとしていること、 そして、楽器の状態が良く、健康であることの方がもっと大事である。」 ということを学びました。これはこの時の最大の収穫です。

 

妻のヴァイオリンの最大の問題点は、つくりや健康状態が購入したときに、すでに著しく悪かったということなのです。

楽器は演奏するための道具であって、金融財産ではないのですから「もし本物だったら今は1,500万円の価値があるのだから、 金を返せ。」などと言うつもりは毛頭ありません。
性能の劣った道具で一所懸命練習をしていた時間がもったいない。それを返して欲しいと思うだけです。

道具として用を成さないものが、堂々と、その当時としては大金であった、120万円という価格で売られたということが大きな問題だったのです。


たとえ本物ではなくとも、本物と寸分違わずに作られている楽器は、即ちそれは製作者の腕が確かなことを証明してくれていることになります。 ですから、その値段さえ妥当(本物の値段で売られさえしなければ)であれば、 その楽器自体は道具としては優れたものとして充分通用するものと言えると思います。

 

そして、それに係わった先生ですが、その先生は楽器商からの謝礼は全く貰わなかったことを誇りにしている 先生だったと妻は言います。しかし、楽器を選定したものとして幾ばくかの 責任はあるでしょう。 お礼をもらわなかったからで済まされる話ではないと、私は思います。

 

日本人は、情報や知識は「ただ」で利用できると考えていますが それは大きな間違いです。
もし先生が自分の生徒の楽器選びに関わるのならば、正しく、間違いの無い選定をして、 それに見合う報酬はきちんと もらうべきだと思います。
音に頼らずに楽器そのもの、楽器本体を判断する能力が自分に備わっていないと思うならば、決して選定に関わるべきではないと思います。
それは楽器商の専門分野であって、演奏や指導のプロである先生が首をつっこむ分野ではないのです。

そして、楽器商、先生の言うことだけを信じた妻と親 にも多少の責任はあると思います。
結局、手工弦楽器、オールド楽器の世界のことをあまりにも知らなさ過ぎたのです。
まだ高校生だった妻と、全く音楽に縁の無かった親にとっては 酷な話なのかもしれません。
当時はヨーロッパからの輸入されたヴァイオリンで古いものというだけで、全て良いものとされる風潮だったのでしょう。
おそらく、良い楽器(道具)というものを知ろうにも、それ自体が当時の日本には極めて少なかった、実際に見る機会が無かったのかもしれません。

 

そのような状況ですから、当時は楽器にまつわるトラブルは、何も妻に限ったことではなく、 いたるところに、似たような話がごろごろしていたのでしょう。

 

問題は以下の3点に大きく集約されると思います。

 

  1. 楽器選びに関して先生の意見が占める割合が大きすぎること。

  2. 先生は楽器演奏、指導のプロであって、楽器そのものを見分けるプロではないということ。必ずしも全ての先生が楽器に精通しているとは限らない こと。

  3. 楽器を選ぶ基準を「音色」にしか持たないこと。

 

2は、日本の音楽教育の問題でしょう。日本の音楽大学では楽器の奏法は学んでも、楽器本体について学ぶ場、授業がありません。

これが楽器を弾けても楽器本体については全くわからない専門家を産みだす原因となったのです。
そして、楽器を教える立場、教師、講師になる人もその中から出てくるわけですから、楽器そのもの、楽器を見分ける眼が養われなくても仕方がないのです。

 

3は意外に思われるかもしれませんが、「音色」というものは、言ってみれば個人の好き嫌い、好みであって極めて主観的なものです。 客観化、数値化することはもちろんできず、絶対的なモノサシ、指標がある性質のものではないのです。

例えば、同じヴァイオリンが、試奏する空間(場所)、弾き手、どんな楽器と比較したかなど、諸条件によって、印象、優劣の判断が大きく変わってしまうことは少なくありません。
「心地良い音」「柔らかい深みのある音色」と思って選んだヴァイオリンが、実は健康状態が悪化していたり、隆起が不自然なために、単に音量の出ないだけの楽器だったなどということも良くあることです。

 

1については楽器商がユーザー、顧客に正しい知識、情報を伝えようとしないことが原因です。

それが、弦楽器業界の最大に悪いところですが、お互いの足の引っ張り合いを日常茶飯にしている業界です。(例えば他店で買ったヴァイオリンを別の店でうっかり見せようものなら、わざと、それが偽物だと言うような嘘、 誹謗中傷が平気で行われてきました。 もしまともな業者であるのなら、真贋の判定が難しいこと、たとえ本物でなくても、つくりの良い楽器は沢山存在することを知っているはずですから、 悪意ではなく軽はずみにそんな発言をするはずもありません。)

これでは、ユーザー、顧客が誰を、そしていったい何を信じて良いか判らなくなってしまうのも無理はありません。


ですからそれで結局、一番身近な先生にお願いしよう、習っている先生を信じようというのも無理はないことだと思います。

 

「楽器を見てください、選んでください。」と生徒に頼まれたら「楽器のことはよくわからないので」と言えないのが先生のつらい所です。
でも先に書いたように、楽器を見ることは、教える仕事とは全く別の専門的な知識、能力を必要とするのです。

 

私は、少なくとも1、3については楽器商の側からもっと適切な情報、正しい情報を発信していけば 改善できるのではないかと思い、HPによる情報発信を始めた次第です。
そして世間の弦楽器業界に関する不信感や弦楽器の価格に対する不明朗感を払拭するため、 適切な価格での新作楽器販売を始めたわけです。
今後、妻のように楽器に泣く人が決して現れないようにと・・・・・・

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